2015年6月29日月曜日

全日本選手権タイムトライアル・ロードを終えて〜前半戦終了(1)

栃木県那須地方にて6月21日に全日本タイムトライアル、6月28日に全日本ロードレースに参戦しました。2013年以来、一年あけて久しぶりの大一番です。2013年は前半3月〜4月のヨーロッパ遠征に強く指向したコンディションづくりをしたため、全日本時には体調が悪く、万全を期して戦うのは実に2012年以来となります。

全日本選手権は優勝とそれ以外の差が本当に重い戦いです。僕がプロ1年目、シマノに入った時に先輩の選手から、全日本の時だけはどんな手を使ってでも最後は勝たなくてはならないと説かれました。普段なら力を見せて、内容を同時に求める走りを常に教えられていたのですが、全日本だけは勝たなくては意味がないと。それだけに最後のスプリントに残り、4位だった時も激しい悔しさしか残りませんでした。チームメイトの力を全部背負って戦った以上、勝利以外はありえなかったと。

全日本の準備はツール・ド・熊野終了後から6月21日のタイムトライアルと28日のロード両方に照準をあわせて本格的に開始しました。フランス遠征の終盤から試合数がかさみ、おちついて登り、基礎のパワーの確保をする練習ができていなかったため、まずはきっちり乗り込みました。練習していた鹿児島では来る日も来る日も雨。結局この期間、三日ほどしか晴れの日はなかったように記憶しています。それでも雨に徐々に慣れ、苦にしなくなってきました。明るいサングラス、キャップ、暖かいレインジャケット、止まらずに走るために多めの補給、そしてちょっとばかりの気合。

パワーメーター付きのタイムトライアルバイクも熊野終了時で手に入り、2週間ほどロードの合間にぽつぽつ乗りながらポジション、ペダリングを段階的にアップデート。特にハンドルバーのセッティングはありとあらゆる組み合わせを試しました。身体に正直になりながら、変化をパイオニアのペダリングモニタから読み解くという作業の繰り返し。しかし、タイムトライアルの開催される最終週に入ってもいまだ改善が続く状態で時間切れとなり、疲労を抜くメニューに切り替わり、この時間的な微妙な余裕の無さが試合に影響を与えたと今では考えています。

そのままレース時に非常に良いコンディションだったのを確信しきらずに3周回のうち、特に1周めで緩めの負荷で入ったことが致命傷になりました。体感的にも非常に楽ではあったのですが、自分を信じ切れず1週間半ほど前に想定した安全な負荷で巡航。さらに小さな丘に登るセクションでタイムを思い切って稼ぐべきところを、オーバーブローを恐れるあまり控えめに行ったこともよくなかった。
タイム的には16:53 @ 325W, 16:43 @ 334W, 16:25 @ 341Wと後半に無理やり上げることになってしまい、前半の遅れをあと僅かのところで詰め切れず。
結果優勝の中村選手から4秒、2位の増田選手から1秒弱という僅差で3位。

そこからどうにか気持ちを切り替えて1週間トレーニング後、ロードレースへ臨みました。体調も引き続き良く、今度こそは自分のコンディションに確信をもってスタート。

レース序盤3周ほどは主導権争いからアタックと吸収の繰り返しで激しく動きます。途中から特に登りでペースが上がるようになってくると徐々に脚の差が出て集団が割れ始め、土井選手や増田選手などの有力選手がいくのを確認して落ち着いてアタックを追走、逃げ集団に入ることに成功。この時には1min @ 500Wとか。ここにアンカーから3人が入り、他のメンバーも強力で、今日はもうこれで決めようという雰囲気がありました。

つづく
写真は@ロードレース by offcourseyas