UK Athleticsのコーチ、John Kiely氏のピーキングについての文章を読む機会があったのでメモ
出典:http://edinburghac.org.uk/wordpress/wp-content/uploads/2011/11/Coaching-Periodisation.pdf
内容としては、伝統的なピーキングモデルに関する疑義と新たなピーキングに対する捉え方の提案になっている。
・シーズンの最中にピークを作る方法などの大元の型は、科学的にというよりは文化的、経験的に決まっている。
・その大枠は生まれてから更新されていない
そして、それらには意外とサポートする証拠が少ない
伝統的なモデルには以下の様な想定が含まれていると考えられる。正しそうなものもあるが、根拠が薄いものもある。
・唯一の最適解が存在する
・トレーニングの計画と実施が分離されている。 一度計画を立てたら、それを実行あるのみ
・計画はトップダウン的である。コーチがあるメニューを決めたら、選手は実行あるのみ
・期間でブロックを作り、その中身でトレーニングプログラムを一新していくのが有効である
・ある種の能力を発達させ、維持し、特定の動作に適応するのに最適なメニューの変化のさせ方が存在して、どんな人にも適用できる。(訳注、ビルドアップ時期、維持する、レース前の仕上げ、など)
・いくつかの能力には順序が存在する。例えば、パワーをつける前にストレングス、スピードの前にエンデュランスを鍛えた方が良いなど。
・個々のトレーニングの進捗は予想しうるもので、ある種のパターンに従うはずである。
・事前の計画段階でトレーニング状況を正確に予測し、負荷を調節することができる。
・経験的に発見されてきたトレーニングの負荷量は正確で、トレーニングの負荷がもたらす身体へのストレスと適応によって起こるパフォーマンスの向上の手段としても良いものである。
・事前に決めた負荷にこだわるのが良い
以上の想定の問題点
多くの論文で、「強度の変化を付けたトレーニング」と「強度の変化がない場合のトレーニング」の効果を比較しているものの、ピーキングの有効性までは証明していない。なぜなら、負荷・タイミングの変化の付け方などの違いについて踏み込んだ論文が少ないため。(訳注:コスト・コントロールが大変だからそうなるのだろう)
ちなみに、トレーニングに変化をもたせても意味がないとする文献もあるが、以下のような共通点がある。
(1) 短期間、典型的には数週間の実験である
(2) 被験者が普段トレーニングをせず、身体能力のレベルが低い。例えば活動的でない年配の被験者など
よって、以上の論文からいえるのは、トレーニングの変化のさせ方は、トレーニングレベルと時間軸に依存するということである。トレーニングをこれまで積んできた被験者に関しては、少なくともトレーニングの変化は身体のレベルを上げるのに有効だと考えている(訳注:根拠は示されていない。)
以上から、論文レベルではトレーニングに変化をつけるのはトレーニングを積んだ被験者レベルでは有効だが、その変化のさせ方は未だにクリアにいえることはない。
トレーニングプランを作る上での前提となっている事実の見直しについて
1.生物学的なパラメタの多様さによって、個々のトレーニングに対する反応が一定でない
・遺伝
・生物学的な機能の現状
・類似のストレスに対する典型的な反応
・心理学的な変数
・環境学的な変数
実は各種論文でも、トレーニングに対するリアクションはかなり個人に依存性がある。
以上でトレーニング効果は当然変わる。さらに、有用とされているものには大概生存者バイアスがある。
2.エキスパートでも判断と予測を誤る
・識者と呼ばれる人でも、複雑系の予測は大概外れる。
・身体のように、変数は多い上に非線形システムが絡みすぎているものの予測は外れる
・カオス的な性質(状態に極めてセンシティブな性質)の問題
・社会・経済のエキスパートたちに予測をしてもらっての外れ具合についての文献が参考になる
・状況のステータスに応じてモニタリングしていく仕組みのほうが良いのでは?
いくつかの提言
・良いトレーニングプランとは、センシティブかつ、レスポンシブであるべき。わずかなまずい兆候や、逆に予想外の好調などのチャンスをうまく捉えることができる柔軟なものになるべき
・数字のみの捉え方(セット・反復回数・負荷など)のみの管理は極めて危険
・無理のない、円滑なトレーニングの実施のために、先のことはおおまかにのみ決めること。一方で、いざ実施する直前には各種のパラメタをみて細かく指定すること。特に、ハイリスク・ハイリターンのメニュー実施の際には細心の注意を払うこと。
・「もし、これがおきたら」というオプションを事前にもつこと。例としては、
if 技術的にうまくいかない or 何かを「感じる」or 痛みがあるレベルまで達した then
インターバル間のレストを増やす or セッションを終了する、など。
・傲慢さに基づいた意思決定を排除すること。例としては、以前の成功体験に基づいた無理な目標設定など。
・過度な一般化された「ルール」を常に疑うこと
・トレーニングを記録し、頻繁に見なおす。傾向を把握し、教訓を得て、次回に役立てる。
マイク・タイソンの格言によれば、
「誰もが顔面にパンチを食らうまではプランがある」
人間は誰もが楽観的な計画を立てる。しかも、不確実な状況下では脳は予測を間違う。そして現実が襲った時に、我々はプランに固執して墓穴を掘りがちである。
ヨギ・ベラ的には
「間違った方向に行きそうだったから、早めに切り上げた」というやつをやる必要がある。
以下私見
筋力(レジスタンス)ではコントロールも比較的厳密な実験が多く、以下の様なことがいえるとされている
・過負荷の原則
・漸増性負荷の原則
・継続性の原則
・意識性の原則
・特異性の原則
・個別性の原則
など。
以上は間違いなく重要。サイクリングも心臓から手足の末端まで使う筋肉の運動であることには変わりないので。しかし、エネルギー生産の生理学的な側面、ステージレースのような長期の影響、シーズンに渡るコンディショニングなどのやり方は科学のまだ及ばない匠の技の領域が非常に多くある。下手に考えるよりも、本当に感覚を研ぎ澄まして、バッチというよりはオンライン学習的にトレーニングできる選手はあまり致命的な失敗を犯さないと思う。
あと、上の文章の筆者は身体のカオス的な性質についてよく言及してちょっと悲観的だった(コントロール出来ないことが多いという見解)、ある一定以上のレベルの選手は間違いなく安定領域はかなり広いし、安全な領域に戻す方法も本能的に知っている。
あるレベルの選手が得意なコーチが間違いなく存在する。もっといえば、ある人種、ある年代、あるレベルの得意なコーチは存在するはず。
ある程度の枠をもったトレーニングは、それを目標として選手の生活を向上させる効果をもつと考えている。
出典:http://edinburghac.org.uk/wordpress/wp-content/uploads/2011/11/Coaching-Periodisation.pdf
内容としては、伝統的なピーキングモデルに関する疑義と新たなピーキングに対する捉え方の提案になっている。
・シーズンの最中にピークを作る方法などの大元の型は、科学的にというよりは文化的、経験的に決まっている。
・その大枠は生まれてから更新されていない
そして、それらには意外とサポートする証拠が少ない
伝統的なモデルには以下の様な想定が含まれていると考えられる。正しそうなものもあるが、根拠が薄いものもある。
・唯一の最適解が存在する
・トレーニングの計画と実施が分離されている。 一度計画を立てたら、それを実行あるのみ
・計画はトップダウン的である。コーチがあるメニューを決めたら、選手は実行あるのみ
・期間でブロックを作り、その中身でトレーニングプログラムを一新していくのが有効である
・ある種の能力を発達させ、維持し、特定の動作に適応するのに最適なメニューの変化のさせ方が存在して、どんな人にも適用できる。(訳注、ビルドアップ時期、維持する、レース前の仕上げ、など)
・いくつかの能力には順序が存在する。例えば、パワーをつける前にストレングス、スピードの前にエンデュランスを鍛えた方が良いなど。
・個々のトレーニングの進捗は予想しうるもので、ある種のパターンに従うはずである。
・事前の計画段階でトレーニング状況を正確に予測し、負荷を調節することができる。
・経験的に発見されてきたトレーニングの負荷量は正確で、トレーニングの負荷がもたらす身体へのストレスと適応によって起こるパフォーマンスの向上の手段としても良いものである。
・事前に決めた負荷にこだわるのが良い
以上の想定の問題点
多くの論文で、「強度の変化を付けたトレーニング」と「強度の変化がない場合のトレーニング」の効果を比較しているものの、ピーキングの有効性までは証明していない。なぜなら、負荷・タイミングの変化の付け方などの違いについて踏み込んだ論文が少ないため。(訳注:コスト・コントロールが大変だからそうなるのだろう)
ちなみに、トレーニングに変化をもたせても意味がないとする文献もあるが、以下のような共通点がある。
(1) 短期間、典型的には数週間の実験である
(2) 被験者が普段トレーニングをせず、身体能力のレベルが低い。例えば活動的でない年配の被験者など
よって、以上の論文からいえるのは、トレーニングの変化のさせ方は、トレーニングレベルと時間軸に依存するということである。トレーニングをこれまで積んできた被験者に関しては、少なくともトレーニングの変化は身体のレベルを上げるのに有効だと考えている(訳注:根拠は示されていない。)
以上から、論文レベルではトレーニングに変化をつけるのはトレーニングを積んだ被験者レベルでは有効だが、その変化のさせ方は未だにクリアにいえることはない。
トレーニングプランを作る上での前提となっている事実の見直しについて
1.生物学的なパラメタの多様さによって、個々のトレーニングに対する反応が一定でない
・遺伝
・生物学的な機能の現状
・類似のストレスに対する典型的な反応
・心理学的な変数
・環境学的な変数
実は各種論文でも、トレーニングに対するリアクションはかなり個人に依存性がある。
以上でトレーニング効果は当然変わる。さらに、有用とされているものには大概生存者バイアスがある。
2.エキスパートでも判断と予測を誤る
・識者と呼ばれる人でも、複雑系の予測は大概外れる。
・身体のように、変数は多い上に非線形システムが絡みすぎているものの予測は外れる
・カオス的な性質(状態に極めてセンシティブな性質)の問題
・社会・経済のエキスパートたちに予測をしてもらっての外れ具合についての文献が参考になる
・状況のステータスに応じてモニタリングしていく仕組みのほうが良いのでは?
いくつかの提言
・良いトレーニングプランとは、センシティブかつ、レスポンシブであるべき。わずかなまずい兆候や、逆に予想外の好調などのチャンスをうまく捉えることができる柔軟なものになるべき
・数字のみの捉え方(セット・反復回数・負荷など)のみの管理は極めて危険
・無理のない、円滑なトレーニングの実施のために、先のことはおおまかにのみ決めること。一方で、いざ実施する直前には各種のパラメタをみて細かく指定すること。特に、ハイリスク・ハイリターンのメニュー実施の際には細心の注意を払うこと。
・「もし、これがおきたら」というオプションを事前にもつこと。例としては、
if 技術的にうまくいかない or 何かを「感じる」or 痛みがあるレベルまで達した then
インターバル間のレストを増やす or セッションを終了する、など。
・傲慢さに基づいた意思決定を排除すること。例としては、以前の成功体験に基づいた無理な目標設定など。
・過度な一般化された「ルール」を常に疑うこと
・トレーニングを記録し、頻繁に見なおす。傾向を把握し、教訓を得て、次回に役立てる。
マイク・タイソンの格言によれば、
「誰もが顔面にパンチを食らうまではプランがある」
人間は誰もが楽観的な計画を立てる。しかも、不確実な状況下では脳は予測を間違う。そして現実が襲った時に、我々はプランに固執して墓穴を掘りがちである。
ヨギ・ベラ的には
「間違った方向に行きそうだったから、早めに切り上げた」というやつをやる必要がある。
以下私見
筋力(レジスタンス)ではコントロールも比較的厳密な実験が多く、以下の様なことがいえるとされている
・過負荷の原則
・漸増性負荷の原則
・継続性の原則
・意識性の原則
・特異性の原則
・個別性の原則
など。
以上は間違いなく重要。サイクリングも心臓から手足の末端まで使う筋肉の運動であることには変わりないので。しかし、エネルギー生産の生理学的な側面、ステージレースのような長期の影響、シーズンに渡るコンディショニングなどのやり方は科学のまだ及ばない匠の技の領域が非常に多くある。下手に考えるよりも、本当に感覚を研ぎ澄まして、バッチというよりはオンライン学習的にトレーニングできる選手はあまり致命的な失敗を犯さないと思う。
あと、上の文章の筆者は身体のカオス的な性質についてよく言及してちょっと悲観的だった(コントロール出来ないことが多いという見解)、ある一定以上のレベルの選手は間違いなく安定領域はかなり広いし、安全な領域に戻す方法も本能的に知っている。
あるレベルの選手が得意なコーチが間違いなく存在する。もっといえば、ある人種、ある年代、あるレベルの得意なコーチは存在するはず。
ある程度の枠をもったトレーニングは、それを目標として選手の生活を向上させる効果をもつと考えている。