2017年12月16日土曜日

献本頂きました:『覚醒せよ、わが身体。─トライアスリートのエスノグラフィー』似ている思考様式のアマチュアトップアスリートによる、アイアンマンコナまでの道のり

ツール・ド・おきなわでロードレースから引退してから、しばらく身辺整理をしたり、次のステップに備えて多様な人に話しを聞きにいったりしている。そんななか、『覚醒せよ、わが身体。─トライアスリートのエスノグラフィー』をこの9月に発刊された著者、八田氏から献本いただき、久しぶりにサイクリング以外のスポーツを描いた本をしっかりと読んだ。

筆者は東大の経済学部卒なので、大学では先輩にあたる。その後一般企業に勤めている中で「サイクリングが、トライアスロンというものが流行っているらしい」というちょっとスノッブな感じでサイクリングやトライアスロンに取り組み始めている。

このきっかけのところを下手に美化せずに俗物根性的に自転車を始めた様子や、なんなら著者が36歳のときに受けたマイルドなリストラ宣告を包み隠さず描写している(それどころか冒頭にインパクトのある形で書かれている)ところが、現場で受けた主観的な体験をこと細かく記録していく社会学的な手法ー エスノグラフィー ー の訓練をその後大学院で受けた著者らしいところといえる。

軽くショックを受けたのは、トライアスロンに取り組む著者の思考様式が自分と本当によく似ているところだ。


着目するのは己の「身体」だ。(中略)そのためには、まず理論や技術を、だいたいこうゆうことだろう、と大づかみする。そのざっくりな理解なままで、自己流に実行してみる。身体は反応を返す。ここから理論の本当の出番だ。頭の知識と身体の感覚とをつきあわせ、両者の距離を試行錯誤の中で詰めてゆく。(p.104)


この文章にはこの3年間で若い選手たちに教えようとしていた、トレーニングに対する姿勢のエッセンスが詰まっている。私自身もそうだが、現在のスポーツ科学は役には立つものの、実践する際にはすぐに限界につきあたるのも確かだ。そこで必要なのは誰も教えることができない、自分を読む力なのだが、この能力は本当に積み重ねとセンスの両方でしか獲得することができず、遺伝子以外で最も重要な選手の能力かもしれない。

プロ選手としていろいろと配慮しなくてはならないことも多く、このところ主観的体験がもつカラフルさを文章に落としこむ機会が減っていたけれども、著者のようなアマチュアアスリートがスイム3.8km、バイク180km、ラン42.195というモンスターレースと格闘し、くぐり抜ける正直な描写を読むと、自分が学生のころに書けた、熱のあるロードレースに対する純粋な感動が思い出されてハッとした。

ところで、アイアンマンのバイクは180km個人タイムトライアルなわけで。。。楽しそうですね。スイムとランは大変そうだけれども。一生に一度ぐらい走ってみたい。

2017年11月22日水曜日

書評:Faster-The Obsession, Science And Luck Behind The World's Fastest Cyclists

国内の書籍では本当に効くスポーツ科学の本が薄い。国内の書籍だけ読んでいるとそもそも薄いということに気がつかないのだが、選手になってからいくつか英語の書籍を読んでいるうちに、英語圏の選手は遥かに深く広範な情報にアクセスできていることに気がついてしまう。

書籍に記載される情報というものは、すでに現場の常識になっており、固まった内容であるから最先端のものではないことが多い。そしてその常識すらまだ日本で選手をやっているぶんには浸透していないということに危機感をもち、特に若い選手のために紹介する。

今回紹介するのはFaster-The Obsession, Science And Luck Behind The World's Fastest Cyclistsという本。筆者はMichael Hutchinson氏。大学出身のフルタイムTT選手の経歴をもち多くのナショナルチャンピオンに輝いている。選手生活ののち、博士号も取得しているがスポーツサイエンスではなく、法学。しばらく法学分野で活躍した後に作家としての活動を始め、いまではCycling Weekly等に多くの寄稿を行う。

7章からなり、1.自転車選手の生活とはどういうことを意味するか?、2.運動生理学の最新トピック、3.栄養学、4.3分49秒の団体追い抜きのために必要なこと、5.スポーツ心理学、6.テクノロジーがうむアドバンテージについて、7.才能と遺伝について、となっている。

この10年躍進したイギリス車連やチームスカイがどのようにものを考えているかが端々に現れて非常に興味深い。さらによくある一般のライターの記事のように科学礼賛で終わっておらず、科学とアスリートやコーチが交わる点でどのような葛藤が生まれるか、実際にスポーツサイエンスが結果を生み出すための条件のようなものが読み取れる。

「勝負が科学から本能にかえってくるのは、こういった科学の処方箋を実行する段でのことだ。コーチたちは、『みんなで山の上に1ヶ月住もう。インターネットもなければ家族とも友だちとも会えずに、とにかく毎日きつい練習を何時間もしながら、私に背後から叫ばれて、栄養学の観点から選ばれた味を無視した食事を食べ、ひたすら暇な日々を過ごす。誰が来てくれるかい?』といわねばならない」というところからは、どれだけ科学が進歩しても実行するのは人間だということを再確認させてくれる。

自転車競技は最終的にはどこまでもシンプルで、どれだけのパワーでペダルを漕げるかどうかだけで決まる。タイムトライアルは中でも単純だが、筆者によれば現代で真剣にタイムトライアルにとりくむ選手は、データ分析のできるコーチとの協業が不可欠だと語る。


他にも、体脂肪をうまく燃焼させてレースの終盤まで脚を残すためのトレーニングや、チームスカイの野菜ジュースを大量に飲ませる戦略など、理論と実践両方の話が事欠かない。ぜひ全ての自転車競技のアスリートに読んでほしい。