2016年7月30日土曜日

Shimizuは多分グアドループで有名な日本人のトップ3に入る or Tour de Guadelope opening ceremony

時差ぼけで早々に目が覚めて、遠征中としては早々と朝食をとる。このあたりでフランスから36時間ぐらい風呂に入っていないのが耐え難くなって、ちょろちょろと5mmぐらいの口径ででてくる水を使ってシャワーを浴び始める暴挙にでる。そのうち、空きペットボトルに水をためてからシャワーを浴びるという技術を開発して一歩楽になった。ちなみに僕はペットボトルで6本ぐらい必要だが、猛者は1本ですべてを洗えるらしい。多分すすげてないと思うんだけど

とりあえず身体を洗えることが証明?されたが、帰ってからまためんどくさいのに暗い気持ちになりながら練習に出かける。1時間半ほどのカフェライドだ。グアドループは左の羽が大きな蝶のような形をしていて、僕らは右の羽の下辺りにいる。そのまま東の突端まで海岸線沿いを走っていった。カリブ海のバカンスシーズンらしく、海は綺麗でそこそこ賑わっている。だがどこかしら華やかな感じがなく、フランスのあまりいけていない方面の田舎らしさを感じる。道はところどころ荒くて気が抜けない。走っているとかなりの車から合図をされる。「ツール」の選手であることをわかっているのだ。

どこか良さそうなカフェはないかと海岸線沿いの出店をのぞきながらスピードを落として走っていると、現地民の人たちは僕たちをじろじろとみながら、Japonais!という。つまり日本人だと認識している。ヨーロッパでは中国人と呼ばれることは多いが、一発目から日本人だといわれることは少ないので、これはちょっとした驚きである。さらに聞いていると、ほとんどの人がShimizu!と続けるのである。(しみず、ではなく、しゅみず!的な発音)この聞き覚えのある名前は誰あろう、清水都貴その人である。

都貴さんは引退前の過去数年グアドループに何度か出場して、熱い走りをみせ、テレビでインタビュー等が流れて?(この辺の経緯ははっきりしない。こんど本人に聞いてみよう)島民のあいだで大人気の日本人になったのである。

カフェでオレンジーナを流しこんでホテルに戻り、ペットボトルでシャワーを浴びて昼食を食べると突然猛烈な水圧で水が流れるようになった。お湯はでないけどありがたみが半端ない。枯れていた水源に急に水が戻ったりすると村上春樹ならなにか神秘的なメタファーになるところだけれども、残念ながら水道がなおっただけである。ちなみに龍と椿の部屋はまだ復旧していないらしい。

夕方になるとちょうちょの胴体の下辺り、ちょうど島の中心にあたるポアント・アピートルにむけてバスで小一時間の旅をする。

謎の陸上競技場で停止したが特になにも起きないので、暑い車内からみんなでてきて20分ぐらい運転手とともに外でごろごろしていたら、競技場違いだったらしく、なにごともなかったかのように別のスタジアムに運ばれた。

全部窓に鉄格子がはまったハードコアな公営住宅の合間にある立派なスタジアムの中でものすごく盛大にオープニングセレモニーが挙行された。

長い挨拶が好きなのは日本人だけと思っていたが、以外にもグアドループ民もえんえんと色々な人が入れ替わり立ち代わり話して、時差ぼけもあって眠くてつらかった。

そこからバスでホテルに帰ると10時頃でようやく夕食にありつく。部屋に戻ると11時前で、前も後ろもなく眠るのみであった。まだレースは始まらない。

2016年7月29日金曜日

グアドループは果てしなく遠い or Tour de Guadelope before race

フランスには本土以外にいくつか海外県というものがあって、帝国主義時代の名残を留めている。散々広げてきたかつての領土と人の流れが21世紀になって誰にも想像していなかったような形で近年爆発(ニース・パリ・シャルリー。。。)していると極東の島国からみるといささか「大変だなあ」という感じも覚えなくもない。そのへんを本土のエスタブリッシュメントの人たちはどう考えているのか、興味があるが、自転車の業界の人間は良きにつけ、悪しきにつけ、「現実主義者」であり、肩をすくめるだけだろう。

ちなみに海外県は東カリブ海にいくつか(グアドループ・マルティニック等)、ギアナ、マダガスカル周辺(レユニオン、マヨット)、そして南太平洋(ビキニ環礁など)がある。グアドループの人口は40万人ほどで、面積は香川県ぐらい。砂糖とバナナと観光業でなりたっていて、飛び地の島の例に漏れず多大な補助金(from EU/France)とそれにまつわる政治的なひずみの臭いがぷんぷんする。しかしあくまで海は青く、野は緑である。

交通はフランス本土のパリ・オルリー空港からコルスエアーなる聞き慣れない航空会社でル・レゼ空港まで8時間ぐらい。われらがフランス中南部に位置するクレルモン・フェランを朝6時前に出発して、昼前にオルリーまで到着した。

シャルル・ド・ゴールではしょっちゅう乗ったり降りたりしているが、オルリー空港を使うのは初めてである。とりえあえずの印象は、ろくでもない車の動線設計と、現代アートの壁面、トイレがまるごと1フロアに存在しない空港内である。

空港正面玄関付近、荷降ろしのところの車の列が30分オーバーはあろうかという列になり、これでは飛行機に乗れないと判断した僕らは、玄関から50メートルほど離れた道が分離するところの島に無理やりバンをつけ、自転車14台プラス引っ越しできそうな荷物をいったん出してそこから空港内に人海戦術で運ぶという荒行にでた。輪行バッグはホイールやら補給食やらでパンパンであり。むやみに重い。

それをこなすとどうにかコルスエアーのカウンターに並び、すさまじい荷物の量にカウンターの善男善女の職員に引かれながらも、タフに荷物を預けていく。1人荷物1個と自転車1台までが規定らしいのだが、はるかにオーバーしている。これはすさまじい超過料金になりそうだ。

監督がこれまたタフにコルスエアーのカウンターで超過料金の交渉を続けている間、朝から何も食べていないのでブリオッシュドレーでサンドイッチをぱくつき、トイレを探すが。。。ない。フロアまるごとない。防犯のためだろうか?モロッコ便などが他には入っているオルリーだが、ひどくごったがえしていて、整った感じの(しかしやはり不便な)シャルル・ド・ゴール空港とはずいぶん雰囲気が違った。

どうにか荷物預けをやりすごし、すでにやりきった感を腹に感じる。おまけで荷物検査にてコンピュータなどの周辺機器をまとめているバッグが精査され、ただでさえ遅れ気味だった搭乗時間にまったくもって間にあわなくなる。やれやれ。

名前をアナウンスで呼ばれながら小走りに機内に転がり込んだが、結局空港滑走路の混雑から、なんと1時間半遅れで飛び立ったのですべては帳消しになった。機内への誘導は普通に行われたので、早々と到着していた人たちは悲劇である。

機内では特に何もする気がなく、反応する気配のないタッチスクリーン式のディスプレイにも匙を投げ(半分を過ぎたところで、チームメイトのダミアン・モニエに爪で押すとよく反応すると教えてもらった)、本を1冊キンドルで読みきってしまう。

到着して荷物のターンテーブルでは早速現地メディア(多分NHK的立ち位置の公共放送の人たち)がやってきて、トマやその他のチームの選手をテレビインタビューしたりしている。島の歓迎ムードが感じられる。

バスに揺られて1時間ほどしてこれから11日間のホテル・ロタバに到着する。到着するなり僕らのバスがビーチからメインの道までの小路を塞いで、ビーチから家路やホテルに帰ろうとする車を完全に塞いでしまい、運転手とビーチから帰る人が喧嘩を始める(クレオール語、フランス人もわからないとのこと)僕らはもわっと湿気を含む暑さの中、黙々と再び大量の輪行袋をホテルに運びこむ。実はここ、一泊1万円近くするそこそこに高級なリゾートビーチホテルであるようだ。だが僕らの印象はシャワーその他の水がちょろちょろしか出ずに身体も洗えないという一点に集約される。美点はよくエアコンが効くこと。夕方はデング熱をもっているかもしれない大量の蚊に注意。(WiFiは弱い)

とりあえず初日はグアドループは遠いという事実を確認した。明日以降に期待しよう。僕らのツールは始まったばかりである。

2016年7月26日火曜日

ツール・ド・グアドループへの旅

7月29日~8月7日まで、ツール・ド・グアドループ(UCIアメリカツアー、2.2)に出場します。

グアドループという地名は耳慣れないと思うので、紹介させていただくと。。。
カリブ海の周縁にあります

拡大するとこんな感じ

ちなみに、カリブ海にあって、アメリカツアーなんですが実はグアドループはフランス領です。

われらがブリヂストン・アンカーチームはここ数年毎年出場していて、総合争いをしています。特にダミアン・モニエが例年TTと登りで抜け出し、優勝争いをしているので、彼を軸に戦うことになるのではないかと思います。

現地住民はこのレースに関して熱狂的な思いがあるらしく、その様子は以下の動画から伺い知れます。ちなみに現地では公共放送で毎日中継があるとのこと



なにせ島なので、毎年ネタの宝庫みたいなレースになるらしいです。マフィアのボスみたいな選手がいたり、毎年誰かしら骨折していたり。。。昨年秋のシンカラみたいな事件が起こらないことを祈ります。