最近はポリティカリー・コレクトな広告という考え方も出てきたというけれど、やはりというかなんというか、ファッション誌の写真を飾るのはぴちぴちした、イデア的若男女だと思いませんか?目に快いものを提供するのが商業主義の本質だという、冷酷無情な現場主義の方も、もっと多様な美観というものがあっていいよねと表明されるリベラルな方もいらっしゃると思いますが、すくなくとも日本における現実は今のところこんなものでしょう。
サイクリングの世界もまったくもって例外ではなく、ブランドイメージにもよりますが、いわゆる「シュッとした」写真が好まれるというのは、知人の識者の弁にもありました。人間は実に感情的な生きものなので、そのイメージに近づくためにサイクリングが必要であり、前提ではないと頭ではわかっていても、その反対側にどちらかというと立っている人たちにとって入りづらい世界なのではないかと思う次第です。
週に20時間ぐらい自転車に乗って(先週はノルマンディーで30時間ぐらいでしたね)それなりに絞れた人間がそんな共感を示したところで嫌味だと感じる方がいるかもしれませんが、僕は色々な場面でサイクリングの世界のアウトローを生きていると日々自認しているので、基本生きづらいです。その逸脱の中でも、ロケットを月に飛ばして40年たっているこのご時世にこれはどうなんだという問題について書こうと。
それは視力に関してです。
強度の近視と乱視が組み合わさっている僕が中学・高校の境目ぐらいでロードバイクを始めるにあたって問題になったことの一つはサングラスでした。当時、特に乱視矯正が入ると性能の良い使い捨てコンタクトレンズはなく、主にハードコンタクトで運動中にズレやすいのが難点でした。また、単純にコンタクトの装着感が好きではなく、大雑把な性格からメンテナンスが面倒だと感じて早々にクリップオンタイプの跳ね上げ式のサングラスに移行しました。
クリップオンタイプはそこそこ便利ですが、重いのが難点です。当時利用できる選択肢がそれしかなかったので妥協はしていましたが、この近視の多いご時世にプロ選手は一体どうしているのかと調べたものです。
調べてわかった結論は、ほぼプロ選手は困っていないというものでした。みな無邪気に既成品のサングラスをかけ、場面によっては外して頭に乗せています。すなわち、母集団となる人類全体における裸眼視力が弱い人の比率と、プロ選手における裸眼視力が弱い人の比率は著しく異なるという事実に気づきます。これは、アフターの写真で眼鏡をかけている選手が少ないことからもわかります。(当時はまだコンタクトはそれほど一般的ではなかった)つまりプロ選手の集団には、視力におけるバイアス(偏り)があるわけですね。
僕はその偏りに見えないフィルタといいますか、ある種の不公平を感じて嫌な気分がしたものです。「裸眼視力が弱い人で、コンタクトが嫌であれば重いクリップオンで妥協するか、さもなくば本格的なサイクリングを快適に楽しむことを諦め無くてはならない」などということが21世紀にもまかりとおっていて、不文律として透けているように感じられました。
その分、Eau de Vieの広告を初めてみたときは衝撃でした。完全に普通のサングラスに度入りのレンズを入れられる。そして実際に作ってみてあらためてその快適さにびっくりしました。
オードビーのオーナー、佐藤氏もまさにそのような体験をもとに現在のお店、サングラスのスタイルを作ったとのこと。(以下引用)
今ではOakleyも純正の度入りを作るようになっていますが、僕の場合は視力が悪すぎて未だにEau de Vieのオリジナルでしか度を入れられません。
今では中島康晴選手や、伊藤杏奈選手のように、度入りを使っている選手も増えています。
コンタクトの性能も上がっていますが、やはりホコリ・涙などの影響を受けない度入りサングラスは快適ですし、選択肢があるというのは大事なのではないでしょうか。
次回は今シーズンのサングラスを紹介します。
サイクリングの世界もまったくもって例外ではなく、ブランドイメージにもよりますが、いわゆる「シュッとした」写真が好まれるというのは、知人の識者の弁にもありました。人間は実に感情的な生きものなので、そのイメージに近づくためにサイクリングが必要であり、前提ではないと頭ではわかっていても、その反対側にどちらかというと立っている人たちにとって入りづらい世界なのではないかと思う次第です。
週に20時間ぐらい自転車に乗って(先週はノルマンディーで30時間ぐらいでしたね)それなりに絞れた人間がそんな共感を示したところで嫌味だと感じる方がいるかもしれませんが、僕は色々な場面でサイクリングの世界のアウトローを生きていると日々自認しているので、基本生きづらいです。その逸脱の中でも、ロケットを月に飛ばして40年たっているこのご時世にこれはどうなんだという問題について書こうと。
それは視力に関してです。
強度の近視と乱視が組み合わさっている僕が中学・高校の境目ぐらいでロードバイクを始めるにあたって問題になったことの一つはサングラスでした。当時、特に乱視矯正が入ると性能の良い使い捨てコンタクトレンズはなく、主にハードコンタクトで運動中にズレやすいのが難点でした。また、単純にコンタクトの装着感が好きではなく、大雑把な性格からメンテナンスが面倒だと感じて早々にクリップオンタイプの跳ね上げ式のサングラスに移行しました。
クリップオンタイプはそこそこ便利ですが、重いのが難点です。当時利用できる選択肢がそれしかなかったので妥協はしていましたが、この近視の多いご時世にプロ選手は一体どうしているのかと調べたものです。
調べてわかった結論は、ほぼプロ選手は困っていないというものでした。みな無邪気に既成品のサングラスをかけ、場面によっては外して頭に乗せています。すなわち、母集団となる人類全体における裸眼視力が弱い人の比率と、プロ選手における裸眼視力が弱い人の比率は著しく異なるという事実に気づきます。これは、アフターの写真で眼鏡をかけている選手が少ないことからもわかります。(当時はまだコンタクトはそれほど一般的ではなかった)つまりプロ選手の集団には、視力におけるバイアス(偏り)があるわけですね。
僕はその偏りに見えないフィルタといいますか、ある種の不公平を感じて嫌な気分がしたものです。「裸眼視力が弱い人で、コンタクトが嫌であれば重いクリップオンで妥協するか、さもなくば本格的なサイクリングを快適に楽しむことを諦め無くてはならない」などということが21世紀にもまかりとおっていて、不文律として透けているように感じられました。
その分、Eau de Vieの広告を初めてみたときは衝撃でした。完全に普通のサングラスに度入りのレンズを入れられる。そして実際に作ってみてあらためてその快適さにびっくりしました。
オードビーのオーナー、佐藤氏もまさにそのような体験をもとに現在のお店、サングラスのスタイルを作ったとのこと。(以下引用)
・・・オーナーの佐藤吉男は小学生の頃から強度近視で眼鏡を使用、高校生からコンタクトレンズにしたが、それでもスポーツ時のグラスにはいつも苦労させられた。
視力が低いとスポーツでこんなにも苦労するのかと他人とのハンディを実感する。
お店を開くと、多くの人が同じ悩みを持っていることがわかり、解決する事がお店の確立していく事となる。
オードビーのコンセプトは、アスリートの悩み(自分の悩み)を解決していく事であり現在でも継続している仕事となっている。
今ではOakleyも純正の度入りを作るようになっていますが、僕の場合は視力が悪すぎて未だにEau de Vieのオリジナルでしか度を入れられません。
今では中島康晴選手や、伊藤杏奈選手のように、度入りを使っている選手も増えています。
コンタクトの性能も上がっていますが、やはりホコリ・涙などの影響を受けない度入りサングラスは快適ですし、選択肢があるというのは大事なのではないでしょうか。
次回は今シーズンのサングラスを紹介します。
*読者のご指摘により初めて知ったのですが、当初使っていた弱視とは、矯正視力でも十分に視力が出ない人のことを指すようです。主に裸眼で近眼・乱視の人を今回はまとめていいたかったので、少し回りくどいですが上のように訂正しました