2016年5月4日水曜日

倹約精神と見栄っ張り精神

ステージレースのふるいというものは徹底している。

だまになったココアパウダーをふるいにかけてきめ細かくしていくように、無駄でエネルギを失う動きが自分の中から削り取られていく。より繊細に、よりなめらかに。ブレーキングを少し遅らせ、誰かが切り裂いてちょっと気圧がさがっているような空間に身を寄せて、自分が群体生物の一個体になったような心持ちで極力加速をおさえながら省エネでプロトンと動く。

練習するときには、どれだけエネルギを消費するか、脚を使ってなおかつ無理やり動かせるかというマインドセットだから、ステージレース中とはまた真逆である。オフシーズン明けや、レースの感覚が開いているとこの倹約精神と練習中の見栄っ張り精神(俺の脚はここまであるはずだというような)との切り替えが少し難しくなったりする。こういうときに、完走できるかできないかというギリギリのステージレースを走ると倹約精神が割増されてよい。

倹約精神はレースや人と一緒に走って、自分の持てるものでなんとか食いつなごうという厳しい状況下でしかなかなか磨かれないから、見栄っ張り精神よりも貴重かもしれない。人間なんとか楽をしようと考えると色々な策がうてるようになる。そしてその策のためには往々にして技術が必要になるから、倹約精神は技術的資本を蓄えてくれる。

ただ、倹約精神も強すぎるとそこそこの体力でなんとかなってしまうことが多くなってきて、いざ本当にキツイ場面ではついていけなくなることが多いように思える。時には大盤振る舞いするしかない場面がくるのもロードレースだから。見栄っ張り精神は体力的資本を少しずつ蓄えてくれて、そういう時に役に立つ