ここまで
9ステージという超長丁場のツール・ド・シンカラ。第5ステージでステージ2位に入り、戦果をあげた。ようやく半分を折り返したが、選手は消耗が激しい****************************************************************************
僕が所属するブリヂストン・アンカーには、トマ・ルバ(Thomas Lebas)というフランス人選手が2012年から所属している。彼はアンカーに所属する前は長らくフランスのトップアマチームで走っていたが、アマといっても競争の激しいフランスのロードサイクリングにおいて立派なステータスのチームにいた。若いころにヨーロッパのトップチームに上がるチャンスを逸しただけ、というのが衆目一致するところだと思う。実際彼は現在実力的に、プロコンのエース級クライマーをも凌ぐ力をもっている。ストイックで、脚は針金のような細さにいつも仕上がっている。穏やかで、宮沢賢治みたくいつも静かに笑っている。ロードサイクリングの世界に転がっている理不尽に直面しては、だまって首を振り、めげずに場をやりすごす。疲れやいらだちを表情にめったにださない。
そのトマが第5ステージを終えた夜、心持ち青い顔で夕食はスキップするといって会場までいかなかった。普段は厳しく節制しても、レースのときにはきっちりとエネルギー源を確保するトマ。特にステージレースで安定感のある彼が、レース中の食事を抜くというのはなかなかのことである。ただし、表情が穏やかすぎてその苦しみはあまり推し量ることができない。一方で自分もレース後の移動の車から、じくじくと腹が痛い。胃のむかつきも感じる。とにかく明日のことを思い、米をふりかけで押し込む。
若手の椿は夕食会場に現れすらしなかった。ひどい腹痛と発熱で苦しんでいるという。僕自身もスタッフから事情聴取されたが、病的な感じはその時点ではまだ少なく、今日のステージの激しい疲労から胃腸が弱っているのではないかということで、対処方法はよく眠るしかなかろうということになった。
しかし時間が経つにつれて、症状はおさまるどころか悪くなる一方だ。あまりにもトイレにいく回数が増えるものだから、インドネシアのトイレにもれなく設置されている、手で狙いをつけるウォッシュレットの使い方まで覚えた。やってみると案外快適で、他のなによりもインドネシアに溶けこんだ気分を感じる。モロッコの薄暗い公衆浴場「ハマム」で風呂に入ったのと同じぐらい文化的浸され度合いが深い。悪寒を感じたので熱を測ったところ、立派に発熱していたのでこれはもういかんと思って、レースドクターを呼び、診察を受けて薬をもらった。レースドクターによれば疲労と森林火災の煙で身体が弱っているからだという。胃薬と下痢止めと解熱剤をもらった。各々の症状に対処するというのはわかりやすいが、なにか根本的な原因へのアプローチが必要なのではないかとひどい気分で漠と思う。
できることは特にない。意識にのぼるのは、空白の時間と、ときおりの苦痛と、近づきつつあるレース上での死。このままの状態で朝を迎えれば、明日のステージを走りきれないのはまず疑いがない。自分が打たれている戦争動画をスローモーションでみているような気分で時間を過ごす。戦争じゃないから本当に死なないけれども。
翌朝になっても症状はよくならず、初山だけが朝食会場に行った。初山が帰ってくると、レースキャラバンの半数は倒れているのではないかという知らせをもってきた。トマと椿も出走は厳しい。僕も監督と話して第6ステージの出走を取りやめた。
最後の望みは主催者がステージをキャンセルすることだった。数チームが全滅し、総合リーダーもやられていることから、まあまあ現実味のある話だ。インドネシア人もやられている。れっきとした食中毒だ。胃腸が弱くて現地の食事になじまないみたいなヤワな話じゃない。日本だったら保健所が来て、地方紙とローカルニュースにでも取り上げられて大会が即刻中止になりそうだが、インドネシアだからなにごともなくレースは続く。
一応レースは大部分が選手による自主的なニュートラル状態で行われたらしい。選手が次々にコースの途中でトイレットペーパーを持って(賢明だ。第3ステージの僕のような目にあいたくなければ)トイレに駆け込みながら行進は続いたとのこと。最後30キロだけレースとして走ったらしい。その30キロ中唯一の登りで、腹痛で苦しむピシュガマンの総合リーダーを、別のピシュガマンの選手が置き去りにしてリーダーを奪っていった。世知辛い世の中だ。
前日の僕が入賞したステージだけでも驚くべきことに16人も消えていたが、今日は出走しない選手が多数で17人が新たに消えた。残りは74人。完走した選手でも20人ほどは体調を崩しながらギリギリだったらしい。実際最終的に9つのステージを完走したのは59人だった。
ここで僕のシンカラはついえる。このあと、2日高熱をだした後に自前の抗生剤でようやく快方に向かった。やっぱり抗生剤が必要だったじゃないか、ぶつぶつ。それから部屋がどぶねずみみたいな臭いがする民宿で、愛三の2人が外のホースで身体を洗っていたり(結構寒いけど、これが一番清潔だと言っていた。その通りだった。)、うらぶれた遊園地のコテージに泊まったり、再びパダンの瘴気の中で練習したりした。
あまりにも多くのことがありすぎて、ここには書ききれないこともたくさんある。初めての東南アジアツアーの体験が鮮烈すぎてまじめにブログを書き始めたら、とんでもない長さになっていつまでも終わらないことに。それでもここまで読んでくれた人がいたら嬉しく思います。
これだけのことがあっても、インドネシアには憎めないところがある。それは人につきる。誰もが親切で、僕らに興味をもって世話をやいてくれようとやっきだった(ときどきそれがあさっての方向へ飛んでいくのだが)。第5ステージで逃げている時の沿道の人びとの大歓声と表情は忘れられない。多分、自分の走りで知らない人を生きているうちで一番興奮させることができたんじゃないかという瞬間だった。本当に自分がロックスターになったような気分で頑張れた。
通訳のファイサル氏しか読めないかもしれないが、インドネシアに感謝!
これを書き終えてようやく本当のオフシーズンをむかえた気がする
photo by Sonoko Tanaka