2015年11月2日月曜日

2015ツール・ド・シンカラ その5

日を追うごとに景気よく集団は小さくなっている。もともとコースが厳しいから、弱い選手は生き残れない。近くでおきている森林火災の煙幕と、排ガスで呼吸器系にも負担がかかる。なによりも胃腸の不調を訴える選手が多い。冗談みたいなドタバタ劇の犠牲になる選手も少しいる。

前日の第4ステージだけでも13人がいなくなった。内訳は2人DNS(Do not Start 出走せず)で、10人がDNF(Do not Finish 時間内に完走せず)、1人がDSQ(Disqualified 失格)となっている。

2015年10月7日の第5ステージでツール・ド・シンカラはようやく折り返しをこえた。昨晩に長距離移動をこなしたご褒美か、これから綺麗なホテルで三連泊。シンカラにおける預言者、初山氏は、レストランに入り、ビュッフェに並んでいるものをさっと一瞥すると、まあここならだいたい何を食べても大丈夫でしょうとコメントした。それでも当然グラスの水は飲まないし、カットフルーツは食べないし、コメ以外はさほど量をとらない用心深さをみせている。初山や内間のようなシンカラマスターたちは、日本からもってきた鯖缶やら、鶏の水煮、親子丼のレトルトを食べて、現地の料理を食べる機会を最小限に抑えている。

ホテルからほど近く、森の薄暗い谷間からレースが始まる。この日がクイーンステージと呼ばれており、全長は164キロ。山岳が3級、級なし(でも3級ぐらい)、1級、2級、下ってゴールのレイアウト。最初の3級がスタート直後にあるために、みなかなり警戒している。ニュートラル区間があるが、ウォーミングアップする選手も多い。

昨日で身体は動くことがわかったので、今日は着をとりにいく日だ。

オープニングは神々の戦いで始まった。第X次イラン(青)vsイラン(赤)戦争(Xは厳しい山岳のある近年のアジアツアーの回数をいれよ)である。最初の3級山岳で、大方の選手は逃げが決まるかもしれないから、前々でいこうぐらいの心もちだったと思う。現実は散発的な青いジャージのタブリズのアタックと、それを封じ込める赤いリーダーチーム、ピシュガマンの超高速ペース。登りに入ってすぐに次々に中切れが起こり、前方のイラン勢+じっと耐えているだけの20人ぐらいで山頂を越える。イラン勢は下りが苦手なので、少し落ち着きを取り戻す。しかし、振り返っても残りの70人の姿はない。

レース開始20キロぐらいで30人がばっくりと後方に2分差をつけてしまう。下りきって後方と合流するかとおもいきや、タブリズが強引にアタックを始める。メーター読みで時速50キロと60キロの間ぐらい。ヨーロッパツアーの平坦を思わせる強烈な速さを、10人に満たないイラン勢で生み出している。タブリズが僕らにもアタックに加われというジェスチャーを送ってくるが、ついているだけでいっぱいだ。戦争はしばらく続く。長いよ。僕らはとりあえずしがみついて恐れおののいている。今日は完走30人になってしまうのか?

いちおう彼らも人間らしく、息を切らし始めて一時休戦となる。タブリズが疲れをみせている。ピシュガマンも高速巡航を保って、アタック封じ込めをするほどペースを上げられない。後方との差がじわっと縮まってレースリセットに向けて休戦状態が広がった。

明らかにチャンスである。座してこの時を待っていた僕は、飛び出すだけの脚がある。後は、ある選手が言ったように、「アタックがうまくいくかどうかは、その選手の脚じゃなくて、集団の機嫌だよ」ということである。許されるメンバーとタイミングを絶妙についた時のみ、逃げは決まる。本当は脚も大事ですけどね。

「いってきます!」という呑気なコメントを内間に残してアタックし、タイムトライアルモードに突入した。しばらく平坦だったので、踏むのと踏まないのとではあっという間に差が開く。最初のショックが大事だ。そのショックの間にどれだけ差を開けるか。5分まずは全力で踏む。逃げを確立できれば、落ちついて回復させればよい。

数分でまず一人合流がきた。蛍光イエローのジャージを着て、スキンヘッドの故マルコ・パンターニにそっくりの選手だ。しかし、追いついてきたはよいが、全く引いてくれない。イランの手先か!?(Are you an assist of Iranians!?)と叫んでみるが、お前のパワーは大したもんだ!(You have huge power!)と返される。ほんとに脚がないらしい。あまりあてにならない最初の道連れ。

次に、タブリズのイランチャンプと、セブン-イレブンチームのフィリピン人がやってきた。タブリズが入れば、後ろでおさえてくれて大変ありがたい。総合で遅れている選手だから、ピシュガマンも無理には追ってこない。理想的な逃げになって形が決まった。さあ、長い一日になる。

登りにはいるとすぐにローテーションはぎくしゃくし始める。どうやらパンターニ似の選手と、セブン-イレブンは全然脚がないようだ。ほぼ僕とイランチャンプで回す。イランチャンプは大柄で190近くあり、平坦が得意な若い選手だが、登りもかなりこなす。しかし、純粋な登りなら分がありそうだと感じた。

下りに入って、最も登りで苦労していたパンターニ氏の美点が明らかになる。下りが上手い。パンターニ氏以外が下手すぎるという疑惑はおいておく。彼がワインディングの高速な下りをリードし、残り3人は苦労して下る。

レースはようやく半分を消化し、ポイントとなる1級山岳に突入する。ピシュガマンが強欲にも攻撃をここでしかけ始めれば、僕らを食いながら集団が崩壊するに違いない。攻撃しないまでも、3分ほどある差を維持しなくては逃げ切りはおぼつかない。山頂までの距離と、それからの道のりをはかりながら、淡々とペースアップをしかける。すぐにイランチャンプと2人になった。

2人で粘る。やはり後方のペースアップがあったようで、1分差とコールされてひやりとする場面もあったが、すぐに2分ぐらいに戻す。きつい時間帯だが、ここをクリアしないとチームのためにも、逃げ切りのためにも意味がない。多分後ろも地獄のはず。

登りをどうにかクリアしてテクニカルな下り。途中路肩から水が湧き出て路面が濡れており、危ないなとおもったら相方がしっかりドリフトしてひやっとする。数分後、集団内ではここで落車が多発していた。中腹を過ぎて街中に入ると、ものすごい数の住民の歓声が耳に響く。自分が普段の生活で歩いている坂道を、時速70キロでぶっとんでいく自転車をみるのは、なかなかおもしろそうだ。

下りきってしばらく緩い登り基調。差は2分と3分の間。残りは約40キロ。ラスト20キロはダウンヒル。逃げきりの可能性はあるか。
数週間前のツール・ド・北海道のことを考えずにはいられなかった。