2012年5月28日月曜日

Tour of Japanが終了、そして熊野へ


国内最高峰のステージレースである、Tour of Japanが終了。ブリヂストン・アンカーチームとしての成績は、トマの総合4位ぐらいで、主にニッポ勢の強力な登坂力の前に敗れることになったが、最終2ステージでチーム強さをみせることができたと思う。

堺のTTは、まあ想定内のタイムで全員が無難にこなし、特筆することはなし。むしろクリテリウムで最終周回のニッポの列車の力を目の当たりにすると、スプリント勝負はかなり厳しいことが予想される。

そして、スプリント合戦の本番である美濃ステージで、アンカーチームとしてのスプリントの戦い方を試すことに。作戦としては、特に最終2周回で、コース中一箇所だけある登りを速いテンポで上がり、「登れるスプリンター」として売り出し中の隼人を前に突っ込むこと。その中でラスト700mぐらいの最終コーナーを曲がってやれば、勝機も見えてくるものと思われた。
ラスト周回でのホンコンの1人逃げはわりに強力だったが、ニッポの列車が強力過ぎたため、誰もニッポに手を貸さず。登り口への位置取りがそれまでの周回に比べて格段に厳しく、なかなか上がれないので焦ったが、どうにか登る直前で一番前に上がった。そして下からほぼ全開で上がり、集団を痛められるように攻撃を仕掛けるも、決定的に割れることはなかったようで、登り切りから下りの真ん中ぐらいに差し掛かると スプリンター達が上がってくる。どうも奈良がなかった影響で、みんながフレッシュに過ぎる。
列車でズバッと上がるのがあまりみんな得意でないので、それぞれぬって上がって、前で落ち合うのがうちのチームの基本となる。自分も直角コーナーが連続してスピードが落ちるところの直線で一気にポジションを上げる。ニッポの後ろ、ジェネシスからポジションを奪おうと並びかけるも、激しく押圧にあって道端に吹っ飛びかけるが、我慢。
そしていつの間にやら最終コーナーが目の前に迫る。周りをみてもチームメイトが誰も上がれていないため、これは自分がやるしかない。結構いい位置だし。
まあ、自慢ではないですがろくにスプリントのさばきをこなしたことがない自分としては全く自信がなかった。しかし、この日はなにやら余裕でざくざくかき分けることができた。フランスでの集団内での死闘に比べると全然ゆるいことに気が付き、自分も上達しているなあ、などと考えながらゴールを目指す。やってることはかなり危険なことをやっているのだが、うまくいく時には頭がいたって冷静だ。最後は純粋にもがく足の差がでて9位(だったかな?)。最後の西谷さんが速すぎて轢かれかけた。しかし個人的には大きな体験だった。

前回(一昨年)とうってかわって、好天の飯田ステージ。総合争いが「ある程度」みえてくるだろう、というのが例年の展開。しかし今年はずいぶん様相が異なった。強力なニッポ勢の2人によって、総合は「ある程度」ではなく、「ほぼ決定的に」決まってしまった。
そもそも序盤からいきなりモレノとバリアーニがちょくちょく動いてきたため、全開で反応しなくてはならず、あっぷあっぷ。これほどの本命が、最初からこれだけ動いてくるのは

a.他の様子をみて、終盤にもう一度仕掛けてくる 
b.実はそれほど足がなくて、逃げも視野に入れている 
c.最強過ぎて、これでも余裕

結論はc.だったらしい。中盤緩んでいるところで突如鋭いアタックがかかり、集団が割れる。トマ・都貴さん・ブレーズは前で展開していたので大丈夫だったが、他が油断して後方に取り残される。第2集団は西谷さん・マリウス・晋一さんといった、各チームエース級が残ってしまっていたため、彼らが決死の牽引をすることになり、少し楽ができたが、後手をとってかなり嫌な感じだ。
そしてどうにか追いついてしばらくしてから、登り切りで軽いアタックがかかり、下りでなんとなく10番手ぐらいがお見合いをした。

これが決定打。

すぐに危機を察知したのはワン・カンポーとマリウス。ダウンヒルアタック&ごり押しで追いつく。その他は見送ってしまった。しかも完全に集団が止まる。アンカーとしても、ニッポが3人入る中でトマ1人というのは勝負として成り立たないので、追いたい、が、損得勘定としては、もっと追うべきチームがいる。結局かなり開いてから数回都貴さんやブレーズがアタックで追いつこうとしたが、結局後の祭り。トマが独力でニッポに立ち向かうことになり、善戦したが1分半ほどのビハインドを食らった。我々はというと、最後に少し抜けだしたブレーズ以外は8分、ブレーズでも5分差と、総合優勝に絡む動きはできなくなり、トマに全てを託すことになった。しかし、この分裂でチャンピオンシステムのバトラーや、ブリッツェンの増田さんといった、富士山が速い選手たちが決定的に遅れたことは大きかった。富士山後に振り返ってみても、分裂の後にアシストを使ってすぐに追わなかった(アシストたちはいたし、むしろ集団を止めていた)この2チームは、総合争いをふいにしてしまった。

休養日を挟んで富士山に臨む。ひどいことに、富士山の当日の朝に38度オーバーの発熱をしてしまい、一時は不出走さえ考えたが、レースが短く、翌日の回復の望みもあったため、アップもせずに出走。上が雨だということでアーム&ベスト着用の徹底ぶりで体力を温存。なんとか完走。死にかけた。抗生剤を飲んだりしてひたすら眠る。

そして修善寺の日に目が覚めてみると、奇跡的に熱・脈ともに正常レベルに下がっていた。12kmコースで距離140キロ超、獲得標高は5000m超と、難易度が高いレース。富士山で総合はかなり決まってきたが、総合4位のトマと、3位のアモーレ・ビタのリーダーは7秒差で、唯一火種となっていた。ステージ優勝と総合の成績アップの両面を狙って出走。最初のアタックにのれればいいな~と思っていたものの、体調に自信がなくて、あまり追い込めず、お見送り。都貴さんがしっかりと乗った。しかし、総合6位、6分差ぐらいにいたシマノ・譲さんが乗っていたために微妙な展開に。4分差ぐらいまではニッポがゆるくコントロールしたが、3分差以上離されて逃げ切られると総合3・4位(アモーレとアンカー)がひっくり返されるというプレッシャーがかかる。前に1人ものせていないアモーレがたまらずコントロールを開始し、譲さんとの分差3分以内条件を受けて、結局2分台でコントロールすることに。
ところが、ここでアクシデントが発生。都貴さんにメカトラブル。このため、座して見ている状況ではステージ優勝も難しいことになり、メイン集団が勝負をできるようにしなくてはならない。トマがステージ優勝&ボーナスタイム獲得で3位奪還が最高のシナリオ、次善のとしてはブレーズがステージ優勝。このシナリオを実現するために、アシスト4人で鬼の牽引を開始。4人全員を使い切る追い込みで何とか最終周回までに、全てを回収してブレーズとトマに勝負を託した。結果、トマの攻撃は実らなかったものの、ブレーズが台湾・中国勢と抜け出し、ゴール勝負に敗れて4位という成績を残した。しかし、しんどかったね。。。

東京ステージはポイント賞争いが全体の展開を決めた。ニッポがポイント賞でビハインドをかなり食らっているために(首位マリウス)、強力にコントロールして中間スプリント・ゴール共に無理やり狙ってくることが予想された。愛三も2位・西谷さんを抱えるからコントロールに加わるかもしれない。ということで、逃げには不利だが、コントロールし過ぎで各チームゴール勝負が手薄になるはず。ここを隼人・都貴さんで狙う。

TOJの公式サイトには
「レースは集団のまま完全にチームNIPPOのペース。グリーンジャージを守るため盤石な動きで集団をコントロールする。」

とあるが、どうもピントがずれている。グリーンジャージを守るだけだったら、分差で逃げを出してしまったほうがよほど賢い。そして最後付近にできたいくつかの逃げは強力で、ニッポのアシスト陣も崩壊して、アンカーやジェネシスがコントロールに加わって、ようやくゴール勝負に持ち込まれたというのが実際のところ。自分も美濃ステージでできた動きを信じて最後まで足をためる。リケーゼに肘鉄でどかされそうになるも押し返していたら、反対からマリウスにまくられる。位置取りはいつもながら大変だ。
ラスト1kmで30番手ぐらい、15番手ぐらいに隼人が左カーブでアウト側、風を受けながら苦しんでいる状況を見つけ、ここが勝負だと思い、隼人に叫んでラスト800mぐらいで別線で飛び出す。隼人と都貴さんが飛び乗ったのを確認して今シーズン一番のスプリントで先頭に立つ。ラスト250mをめがけて限界までもがき続け、スイングアウトした。そこで後方からエーススプリンター達が一斉にもがき始め、都貴さんが残るも9位と、結果としては残念だったものの、ようやく形になるスプリントができた。

結構スプリントも楽しいじゃないですか。

そういうTour of Japanでした。