2015年10月14日水曜日

2015ツール・ド・シンカラ その1

先週はインドネシアでツール・ド・シンカラという9日間のステージレースを走ってきました。

自身で初めての東南アジアでのアジアツアーレース。先輩諸氏によれば、アジアツアーはレースで最強なだけでは勝つことができず、人類完成体としての強さが求められるという。数あるアジアツアーの中でも、インドネシアはかなり高レベルだとのことだ。主に衛生概念と暑さ的に。

ロードサイクリングは、それなりの速度でグローバル化を遂げている。僕のキャリアの間だけでも、確実にいくつかの非伝統国が伝統国に伍するようになりつつある。それと歩調をあわせて、これまでレースのなかった地方でレースが開催されるようになってきている。中でも発展途上国のいくつかでは、その経済成長の希望から、ロードサイクリングのような非採算的イベントに多額の資金を投じることもいとわない。ロードサイクリングがはっきりとした因果関係に支えられた、採算事業でないことは、システム的病なのだが、それはまた別の話。

インドネシアもその若々しい人口構成、人口そのもののボリューム、大きな経済発展の余地から、ある程度将来が約束された国の一つであることは承知のとおり。ホテルから一歩出て、パダンの混沌とした空港に通じるメインストリートを走行すると、その事実をひしひしと肌で感じることになる。小さな商店が通り沿いに立ち並び、食品、携帯電話、服飾、原付きなどを各々熱心に売っており、洗練されたとは言いがたいそれらの商店が活気をある様子は、まだ逃げが決まっていない、これからなんでも起こりうる、序盤のロードレースを思い起こさせる。

初日は夜遅くに、日本からパダンにたどり着いた。移動は丸々一日仕事だった。朝5時半に起床し、空港に向かい、昼前に飛行機に乗ってまず7時間でジャカルタにつく。2時間ほどの余裕をもったトランジットを挟んで、国内便でパダンの空港へ向かう。インドネシアは地図上で見る限り、よっぽどヨーロッパや中東よりも近そうに見えるが、案外着かない。心理的にフライトがヨーロッパ行きなどより長く感じられる。ガルーダ・インドネシア航空の機内メディアが揃える、日本語話者/英語読者(英語口語のリスニングは苦手だ)が気軽に楽しめる映画コンテンツがやや乏しかったのも影響している。今回は夏目漱石を愛用のKindleに何本か入れてきたので、「それから」をしばらく読みふけるが、文語体と筋の繊細さにそれなりに集中力を要求され、長時間は読んでいられない。機内の冷房は最強で、長袖と毛布にくるまって震えているレベルだった。

パダンの空港にたどり着くのは22時頃を回っていて、ロードレース遠征において例のごとく、大量の荷物を手荷物受取で集めるのに苦労する。スタッフも選手も使って総力戦である。出口にはさっそくファイサル氏という通訳が待っている。人がよさそうだ。大量の荷物は、我々の乗るバンとは別のトラックに積み込まれるが、大会側がいささか計画性に欠けるのと、手際が悪いので、長距離の疲労が少し増すように感じられる。しかし僕の方も、選手としてのキャリアの中で慣れてきたもので、これならオマーン/モロッコ/他任意のどこか、の方がよっぽど大変だったなと妙に落ちついている。日付が変わる直前にホテルの部屋に入れた。

朝8時まで死んだように眠る。ホテルはかなり豪勢なところだ。しかし備品というか、ハードウェアに対して、維持するための掃除とかにかなり問題があるらしく、高級そうな部屋のバスルームの天井はカビて台無しだ。それでも寝心地の良いベッドと、すぐに出る熱いお湯と、荷物を広げるのに十分なスペースに感謝の念が絶えない。結局のところ、僕らはバスルームの天井を眺めて過ごすわけではない。結局後ほどこのホテルがいかに素晴らしいところであったか思い知る。

なぜか昼間からまともに日が差さない強力な煙の中で練習をせざるをえない。聞くところでは、熱帯雨林の焼き畑が延焼したことによる森林火災で、周辺が全て煙に覆われているということだ。排ガスとわけのわからないものが腐った匂いと全てが入り混じり、さながら瘴気のようになって、激しく呼吸するスポーツには適切とは言いがたいが、慣れようと努める。

とりあえずレースまではまあまあ通常運行で準備をこなし、十分に睡眠もとってレース1日目を迎える。しかしここから全力でアジアツアーの本領が発揮される。

パレードがスタートしてしばらく、やたら細い道でプロトン全体が一時停止させられる。なにかセレモニーのようなことかと思ったが、どうやら様子がおかしい。

再スタートしてからもリアルスタートはなく、停止と再スタートを繰り返す。そのころにはプロトン内でも情報が入り、まずチームカーがどこかに消えてしまったということがはっきりとした。最初のパレードは市街地を数周するものだったのだが、周回を抜け出て待っているはずのチームカーやニュートラルの隊列が大部分消えてしまっているとのこと。

さらに、選手まで一部消えてしまっているとのこと。わけがわからなかったが、どうやらパレード中にメカトラにあってしまった選手が急ぎ機材調整を受け、集団に復帰しようと焦った際に先にコースに出てしまったようだとのこと、、、僕らがまだ周回している間に。その結果はどうなったかというと、この選手とこの選手のチームカー並びにその後ろだったチームカーがはるか前方を走っているらしい。さらに、この選手が初日でリタイヤという愚が頭にちらつくばかりに、コミッセールの停止命令をなんども振り切って(本人は遅れてリタイヤを宣告されていると思っている)いるので問題が拡大してしまったようだ。やれやれ

結局レース1/3ほどのところでコミッセールが事態の収集を図っている間に長時間の本格的な停止を強いられることになった。すると群がってくる人、人、人。。。好奇心の塊のような人々に圧倒される。「ミスター!フォトー!」と叫んでくる学生たちにどの選手も取り囲まれ、次々に記念撮影とあいなる。

そしてしっかり暑い。停まっていても水を被り、むせるような湿度に体力が奪われる。

結局レースはニュートラルとなり、ゴールまでは走るもののUCIレースとしてはキャンセルという扱いになった。ただし、賞金の配分は決めたいということで、残りたい選手だけ残って、ラスト10キロでよーいどんをやって、着順をつけるという。そんな危ないレースはやってられないので僕らは最後まで走らずにホテルに帰る。後ほど聞くところによると、10キロのロードレースはやはり危険で、落車が発生して怪我を負い、翌日出走できない選手がでたとのこと。

レースが1日も始まらない前からいきなりリタイヤがでた。これで1/9。もう5ステージぐらい走ったみたいな疲労感だ。やれやれ。