10月5日は比較的平坦な第3ステージが用意された。前日にいきなり総合で決定的な動きが決まったために、リーダーチームもはっきりとして安定したレースとなるはずだ。ふりかえると、まあとりあえずレースは安定していた。安定していなかったのは僕である。
スタートラインまでは7人乗りのトヨタに例のごとくぎゅうぎゅう詰めで移動する。この国に来てから日本車の優秀さをあらためて実感する。スタート近辺はくねった一車線で、周囲はいまにもオランウータンが現れそうなほどうっそうとしている。道も荒く、しばしばオフロードになる。しかし運転手のブンガ氏(推定40)はまったく怯むことなく、エンジンの回転数3000以上を保って、軽快にコーナーリングを決めていく。スタートラインにつく頃には、まず車酔いやら移動の疲労を回復しないとしばらく動けない。
丘の上の原っぱがチームのパーキングである。サインのための公園のようなところでは、インドネシアの民族舞踊のようなものが披露されている。失礼ながらこの手の出しものは、正直退屈なものが多いと思うが、今回のものは良かった。音楽はリズミカルながら複雑で変化に富む。皿を持って行う舞踊も目新しい。
チームパーキングはあまり快適とはいいがたいので早めに並ぶ。スタート2分前ぐらいに軽く腹に差し込みがある。実はその日までに腹がゆるくなっていた。食事と水があわないためだと思うが、僕に限らず皆下痢気味だ。スタート前にトイレに駆け込む選手も多い。しかし、流石にスタートが迫りすぎていたために、サドルに座ってしまえばなんとかなるであろうと高をくくってスタートした。
スタート後も一向に状況は良くならない。むしろ悪化している。リアルスタートが切られてからは腹圧を高めて体幹を安定させる必要もあってよりつらい。逃げ切りの可能性のある逃げ集団を作るべく、昨日のように前方で展開しなくてはならないのだが、それどころではない。
スタート後30分もする頃には、肛門括約筋に意識が集中するあまり、脂汗をかいていた。ダンシングは限りなく危険な行為になった。シッティングを限界まで利用しながら、「シッティングの新たな地平を切り開く」などと考えて気を紛らわせながらペダリングをする。学生時代にトラックレーサーで、シッティングのまま加速する方法を練習したなどと考える。
しかし限界がある。これは先輩諸氏の武勇談に聞く、レース中に民家でトイレを借りるパターンだと覚悟を決める。せめてアタック合戦が終わって欲しいが、こういう日に限ってなかなか決まらない。レース時間1時間を超えて、道が広くなり、ややペースが緩んだところで、ここしかあるまいと思って民家を探し始める。
比較的見通しのよい直線路の右手に小さな商店があり、数人が店先で応援している。きっと奥にトイレもあるだろう。左車線の国で右側に止まるのは行儀が悪いが、トラブルで機材交換などをするわけではなく、すぐに走り出すはずなので大丈夫だろうと考え(大甘だった)、住人の前に停止する。
驚いた様子の住人にとりあえず「トイレ!」と叫ぶ。一応伝わっているようで、おお、という感じで彼が後方、店の奥を示してくれる。
その時、右手からーーーつまりレース後方から、マーシャル(レース中の安全確保を行う人)のオートバイが近づいて来るのが右目の端っこにみえた。僕が停止しているのを発見して、トラブルかどうか確認しにきたのだろうと直感的に思った。これで無線によってチームカーへ僕が停止していることが伝われば、復帰が少し楽になるとも思った。
が、オートバイのスピードは緩まず、ギリギリでフルブレーキを始め、横転してスライディングを始めた。そのまま僕をまあまあの衝撃で自転車ごと突き飛ばして転がった。現地住民たちは大騒ぎである。オートバイのライダー二人は転がってうめいている。僕はとりあえず自転車を放棄して立ち上がり、突き飛ばされた衝撃で膝から血をだらだら流しながら、住民になおもトイレを迫った。もう極限である。轢かれた擦過傷よりも腹が限界。
住人は僕の傷に目を奪われながらも、とりあえずトイレにつれていってくれた。後方でチームカーが到着して、メカの中山氏がなにか叫んでいたがとりあえず腹がそれどころではない。こちらは最中に紙がないことに気がついて、愕然としていたが、もはや勢いで現地の手法にのっとる。現地の人たちはそれで用が足りているのだからあたりまえだが、意外とクリーンにできた。
道路に戻るとディレイラーとエンドがへし曲がった自分の自転車が回収され、代車が用意されていた。すばやく飛び乗って、カーペーサーにしばし集中する。
どうにかレースに復帰したが、もはやなにもできる身体状況ではないので、おとなしく集団後方にぶらさがっている。幸いレースも落ちついていた。
レース終盤に再び差し込みがあるも、なんとか耐え切る。レース後に3回ぐらいトイレにこもり、現代的なトイレ設備に感謝した。昼食はほとんど喉を通らなかった。これで3/9である。まったく先が思いやられる。翌日の超級山岳を含むステージを考えて暗い気持ちになった。
スタートラインまでは7人乗りのトヨタに例のごとくぎゅうぎゅう詰めで移動する。この国に来てから日本車の優秀さをあらためて実感する。スタート近辺はくねった一車線で、周囲はいまにもオランウータンが現れそうなほどうっそうとしている。道も荒く、しばしばオフロードになる。しかし運転手のブンガ氏(推定40)はまったく怯むことなく、エンジンの回転数3000以上を保って、軽快にコーナーリングを決めていく。スタートラインにつく頃には、まず車酔いやら移動の疲労を回復しないとしばらく動けない。
丘の上の原っぱがチームのパーキングである。サインのための公園のようなところでは、インドネシアの民族舞踊のようなものが披露されている。失礼ながらこの手の出しものは、正直退屈なものが多いと思うが、今回のものは良かった。音楽はリズミカルながら複雑で変化に富む。皿を持って行う舞踊も目新しい。
チームパーキングはあまり快適とはいいがたいので早めに並ぶ。スタート2分前ぐらいに軽く腹に差し込みがある。実はその日までに腹がゆるくなっていた。食事と水があわないためだと思うが、僕に限らず皆下痢気味だ。スタート前にトイレに駆け込む選手も多い。しかし、流石にスタートが迫りすぎていたために、サドルに座ってしまえばなんとかなるであろうと高をくくってスタートした。
スタート後も一向に状況は良くならない。むしろ悪化している。リアルスタートが切られてからは腹圧を高めて体幹を安定させる必要もあってよりつらい。逃げ切りの可能性のある逃げ集団を作るべく、昨日のように前方で展開しなくてはならないのだが、それどころではない。
スタート後30分もする頃には、肛門括約筋に意識が集中するあまり、脂汗をかいていた。ダンシングは限りなく危険な行為になった。シッティングを限界まで利用しながら、「シッティングの新たな地平を切り開く」などと考えて気を紛らわせながらペダリングをする。学生時代にトラックレーサーで、シッティングのまま加速する方法を練習したなどと考える。
しかし限界がある。これは先輩諸氏の武勇談に聞く、レース中に民家でトイレを借りるパターンだと覚悟を決める。せめてアタック合戦が終わって欲しいが、こういう日に限ってなかなか決まらない。レース時間1時間を超えて、道が広くなり、ややペースが緩んだところで、ここしかあるまいと思って民家を探し始める。
比較的見通しのよい直線路の右手に小さな商店があり、数人が店先で応援している。きっと奥にトイレもあるだろう。左車線の国で右側に止まるのは行儀が悪いが、トラブルで機材交換などをするわけではなく、すぐに走り出すはずなので大丈夫だろうと考え(大甘だった)、住人の前に停止する。
驚いた様子の住人にとりあえず「トイレ!」と叫ぶ。一応伝わっているようで、おお、という感じで彼が後方、店の奥を示してくれる。
その時、右手からーーーつまりレース後方から、マーシャル(レース中の安全確保を行う人)のオートバイが近づいて来るのが右目の端っこにみえた。僕が停止しているのを発見して、トラブルかどうか確認しにきたのだろうと直感的に思った。これで無線によってチームカーへ僕が停止していることが伝われば、復帰が少し楽になるとも思った。
が、オートバイのスピードは緩まず、ギリギリでフルブレーキを始め、横転してスライディングを始めた。そのまま僕をまあまあの衝撃で自転車ごと突き飛ばして転がった。現地住民たちは大騒ぎである。オートバイのライダー二人は転がってうめいている。僕はとりあえず自転車を放棄して立ち上がり、突き飛ばされた衝撃で膝から血をだらだら流しながら、住民になおもトイレを迫った。もう極限である。轢かれた擦過傷よりも腹が限界。
住人は僕の傷に目を奪われながらも、とりあえずトイレにつれていってくれた。後方でチームカーが到着して、メカの中山氏がなにか叫んでいたがとりあえず腹がそれどころではない。こちらは最中に紙がないことに気がついて、愕然としていたが、もはや勢いで現地の手法にのっとる。現地の人たちはそれで用が足りているのだからあたりまえだが、意外とクリーンにできた。
道路に戻るとディレイラーとエンドがへし曲がった自分の自転車が回収され、代車が用意されていた。すばやく飛び乗って、カーペーサーにしばし集中する。
どうにかレースに復帰したが、もはやなにもできる身体状況ではないので、おとなしく集団後方にぶらさがっている。幸いレースも落ちついていた。
レース終盤に再び差し込みがあるも、なんとか耐え切る。レース後に3回ぐらいトイレにこもり、現代的なトイレ設備に感謝した。昼食はほとんど喉を通らなかった。これで3/9である。まったく先が思いやられる。翌日の超級山岳を含むステージを考えて暗い気持ちになった。